常識と好き嫌い。
常識(じょうしき)は、社会の構成員が有していて当たり前のものとしている。社会的な価値観、知識、判断力のこと。[要出典]また、客観的に見て当たり前と思われる行為、その他物事のこと。対義語は非常識(ひじょうしき)。社会に適した常識を欠いている場合、社会生活上に支障をきたすことも多い。社会によって常識は異なるため、ある社会の常識が他の社会の非常識となることも珍しくない。これは文化摩擦などとして表面化することもある。
常識はまとまった集団の中でのもの。 家庭には家庭の、地域には地域の、国には国の常識がある。
世界が繋がりやすくなって色んな集団の常識が目に留まり易くなった。 残念だけど弊害として間違った伝えられ方も多い。
常識を疑うというのは「他の集団の常識を学べ」っていう意味もある。
自分の常識から抜け出せない人は他の集団を攻撃しがちになる。 戦争中のまちがった愛国心のように見えて悲しい。
自分が育ってきた集団と同じように相手も相手の集団で育ってきた。 そこに優劣はなくて単純に違っただけ。
優劣で判断する事は敵を作るだけだ。フラットに考えれば違いを受け入れる事は難しくても理解はできるかも知れない。
理解した上で好きか嫌いかをハッキリさせればいい。 好きなら寄っていけばいいし嫌いなら距離をおく。
それだけ。
それだけでいい。
神さまとのおしゃべり あなたの常識は、誰かの非常識 [ さとうみつろう ]
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